日記に
「泣けないよりは泣けた方がずっと良いです、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
泣いたり叫んだり、
書きたい事を書いたり(日記の事)、
心が欲している事は、
やれる範囲でどんどんやりましょう!」
という内容のコメントを書いた、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
亀レスだったのだが、
10分と待たずにレスが、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
コメへのお礼や現状にちょっと触れた上で、
最後に私への言葉、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
『voidさんこそ
泣けてるかい?』
一瞬、頭の中が真っ白に...
やはりあの日以来、
普通に過ごす日々など無いものの、
振り返ると、
ここ数週間は、泣いていなかった、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
涙ぐんでも、
それによって赤い目になっても、
泣くことは無かった、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
そう、泣いていないのだ、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
意識してはいなかったけれど、
自分が、違う方の日記へのコメントにも、
「私も年々涙腺の緩化を実感していましたが、
最近は他人事では余り泣かなくなりました...
ちょっと、冷たくなってしまったのかも...」
と記入していた事を思い出した、
半ば反射で、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
「泣くだけが、
温かいとは限らないと思いますよ、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
voidさんは十分優しそうに見えます」
と、その方はレスをくれたのだけれど...
一月程前になるのだが、
現実世界でのある友人から、
「(こういった経験を得たのだから、せめて)
もっと優しくなってくれる事を期待する」
といった言葉をもらっていた、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
「冷たくしているつもりは無い...」
と答える私に、その友人は、
「『優しい』の反対は、『冷たい』じゃないよ、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
これは謎掛けじゃないよ」
といったような返答をくれた、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
その時は訳が解らず、
一人落込んでいたのだけれど、
今は、
友人が伝えたかった言葉が解る気がする、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
『優しい』の反対は、
やはり『冷たい』だと思うけれど、
『冷たくないからといって、
優しい訳ではない』んだ、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
そして同時に、
「自分は優しいと言うよりはむしろ、
利己的で、冷たい人間なのだ」
とも思う、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
あの日からずっと、
毎日の様に泣き続けた日々が有った、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
その後、
毎日泣くわけでなくとも、
頭がおかしくなり、叫ぶ日々が有った、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
今、あの頃の自分を振り返ると、
何故泣いていたのかという事が、
泣いていた理由が、
見えて来るような気がする、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
あの頃泣いていたのは、大半が、
自分が悲しかったから、
自分が可哀想だったから、
自分の今後が、全てが、不安だったから、
自分の中の、果てぬ喪失感を認識したから...
そういった、
利己的な感情からだったのではないか?
本当に故人の事を思って、
故人の事を哀れんで、
長いとは言えぬ、苦痛と歩んだ生を想って、
泣いていたのでは、ないのではないか?
そして、ここ数週間泣いていないのは、
慣れて来ているからでは...
実生活やミクシィ等での逃避や娯楽へ意識を移し、
自身の安全を認識し初めているからではないか?
生活習慣を変えようとしている事すら、
結局は自分の生活の為、保身からなのだ、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
人は悲しみが多いほど、
人には優しく出来る...?
人がどう感じるかといった事よりも、
自分の感情を優先させ行動し、
痛みを知って尚、
これだけの死者の数が回りに築かれて尚、
優しさを身に付けられぬ自分を再確認、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
自分が悲しいから、
自分の身が可哀想だから、
泣く、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
自分が寂しいから、
孤独で耐えられないから、
人の集る所へ行く、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
人の事など、ちっとも考えちゃいない、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
これでは、駄々っ子と一緒だ、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
そしてもし、
万が一にも、もし、
自分が物理的にも精神的にも、
良い方向へ変化して行ったとしても...
それはもう、(肉体的にも精神的にも、)
故人と過ごした自分ではない、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
故人にとって、私は最後まで、
駄々っ子のままだった、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
それが一番悔しく、悲しい、写真やアート、俺ってフォトグラフ。
そして(だが)、それすらもやはり、
果たせなかった願望への執着であり、
出来る事の無かった満足...
そう、所詮、自己満足なのだろう、写真やアート、俺ってフォトグラフ。